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先週の土曜日、アルゼンチン、ラプラタ市の日本人会が主催する「歌のフェスティバル」が開催され、ホルヘは審査員として出席した。この催しは今年25回を数え、アルゼンチン日系人社会の、三大歌合戦のひとつに数えられている。しかし、昨年は新型インフルエンザが流行っていたため、直前になって開催が見送られた。当時は、人が集まると感染を拡げるとして、多くの催し物が中止に追い込まれ、映画館なども閉鎖された。今考えると、あの騒ぎはいったい何だったのだろう。
ホルヘは4~5年前からこの大会の審査員になっている。基本的に、審査員は移住者でなく仕事で滞在している在留邦人。その顔ぶれは、領事など大使館関係者は代々引き継いでいるものの、民間人の顔ぶれはかなり変わった。以前は大企業のアルゼンチン支社長クラスがズラリと顔をそろえていたが、今回はそういった民間の大物はいない。世界的不況に加え、アルゼンチンは商売にならないので、日本企業の滞在者は確実に少なくなっている。今回の審査員9名のうち、ホルヘ以外の経験者は大使館の2名だけ。残りの6名は新顔だった。ということで、すっかりベテランとなったホルヘは、開会前に審査員心得などを偉そうにレクチャーしたのだった。
この歌合戦にはラプラタだけでなく各地の日本人会が参加し、団体戦と個人戦で争われる。団体戦は5名1組でエントリー。まずは参加者全員が歌を歌い、団体戦は5名の総得点によって順位を争う。個人戦は参加者の上位15名が決勝へ進み、そこでまた違う歌を披露する。一昨年までは、参加者は50名程度だった。しかも歌は1番までしか歌えなかった。しかし今回は参加者が78名となった上、演歌は2番まで、ポップスは3分半までという新ルールになった。これは日本のお祭りののど自慢などと違い、かなり真剣なコンテストなので、参加者は準備や練習に余念がなく、それだけにできるだけ長くステージに立っていたい。その思いを酌んで時間を延長したそうだが、審査員には地獄だ。休憩こそあるものの、78名プラス決勝15名の歌を長々と聞かねばならない。おまけにこちとら歌に関してはただの素人であって、採点は直感や個人的好みでつけるしかない。となると、1分も聞けば充分なのだ。後はひたすら耐えるだけ。音痴でもいればそれなりに楽しめるが、みんなうまいので参ってしまう。
しかし審査員は先生様扱いで、休憩時間には婦人部手作りの料理が供されるなど、下へも置かぬ接待を受ける。最後には、それはそれは豪華な花束も贈られる。午後5時半過ぎから始まった歌合戦が終了したのは、午前2時近くになっていた。それから、約50キロメートル離れたブエノスアイレスに戻ってくる。例年だと、このあと女の子のいるキャバレーなどへ繰り出し、ホルヘには無用の花束をエサに下らない作戦を展開するところ。しかし時間は遅すぎるし、疲労も強い。とても遊びに行く気になれずおとなしく帰宅。すぐにベッドへ入ったが、まぶたを閉じると頭の中を歌が駆け巡ってなかなか眠れなかった。来年は、頼まれても断ろう。
25回続いた歌合戦に対し、こちらは去年から始まったのでまだ「恒例」とはいえないが、ストライカーDXからアルゼンチンリーグ年鑑の依頼が来た。今年もまた同編集部で世界のサッカーリーグ年鑑を発行することになり、そのアルゼンチン部分を担当することになった。しかしこれは非常に手間のかかる作業で、わずかな量でも予想外の時間がかかる。そういえば、去年も同じように苦労したのだ。それでそのときは、「来年は、頼まれても断ろう」と思ったはずだが、なぜか今年も受けてしまった。日本ではアルゼンチンリーグは放映されていないようだが、テレビで見れようが見れまいが、このコラムを読むような南米ファンは、ぜひ年鑑を買い求めてホルヘの苦心作をご覧ください。 |