|
日本で報道があったかどうかわかりませんが、元スペイン代表監督(1998年ワールドカップを指揮)であり、アスレティック・ビルバオ、エスパニョール、アトレティコ・マドリード、オリンピック・マルセイユ(フランス)など複数のクラブで指揮をしたベテラン監督、クレメンテが2010年南アフリカワールドカップ出場を目指すイラン代表監督に就任することを承諾しました。
このクレメンテ監督はアスレティック・ビルバオと深い関係にあります。ビルバオの町では象徴的存在です。
というのもクレメンテはビルバオ出身、元アスレティック・ビルバオの選手であり、さらにアスレティック・ビルバオが最後に手にしたリーグ優勝の立役者となった監督なんです。地元ではちょっとした名士ですね。
合計3回、アスレティック・ビルバオの監督を務めています。
1回目は1980-86年まで監督を務め、リーグ優勝2回、国王杯1回、スーパーカップとタイトルを獲得。1990-91年シーズンには26試合指揮を執り、最後の2005-06シーズン、降格の危機にあえぐクラブを救いました。
合計211試合はクラブ史上最多であり、102勝53引き分け56敗。
僕も同監督が3回目にアスレティック・ビルバオを指揮したときに何度か練習を見たことがありますが、彼は練習をうまく組むとか、戦術家であるとかそういうタイプではなく、いわゆる「モチベーター」です。
モチベーターというより、「気合を入れるのがうまい」という表現のほうが的確かもしれません(笑)。
僕のイメージでは、チームを勝利に導く、勝たせる監督という感じです。練習中は怒鳴りまくり、選手たちを鼓舞、叱咤、激励するのが恒例でしたし。
つい最近までは独立したばかりのセルビア代表監督(セルビア・モンテネグロが、セルビアとモンテネグロに分裂した後)を務めていましたが、2008年ヨーロッパ選手権予選を勝ち抜けず、セルビア協会はクレメンテと契約更新をしないことを決定。そこでイラン代表が同監督にコンタクトを取り始めたわけです。
すでに同監督は何度もイランへ出向き、代表監督を引き受けることで合意に達していました。
地元の新聞やテレビにも度々登場。連日クレメンテが行くところ行くところに多くの人だかりができ、イランでは大歓迎ムードになっているとスペインでも報道されていました。
それにこれまでほとんど知られていなかったイランのサッカー事情もスペインに流れるようになり、僕も注目して見ていました。
例えば、サッカースタジアムに女性は出入り禁止、女子選手は宗教上の戒律からスカーフを頭に巻いたままプレーしているなど。
そんな報道ぶりに「あとはサインをするだけ」と、もう契約は秒読みになっていました。
ところが……。
急に契約交渉が打ち切られることになったんです!!
なかなか契約を結ばなかった理由は、なんとイラン側がクレメンテに対して代表監督に就任次第、テヘランに住むことを強要したからなんです。
クレメンテは交渉の席で、「イラン代表監督をすることに問題はない。モチベーションは高いし、この国のポテンシャルを感じている。わしの経験が生かせると思う」といっていたのですが、
「でも、代表監督をするのになぜテヘランにずっと住まないといけないのかわからん。わしは監督をやるといっとるわけだし、もちろん合宿や試合の準備でちゃんとイランに来る。仕事もきっちりやる。
ただ、試合もない、合宿もない、何もないときにもイランに住まないといけないと、協会から強要される意味がわからん」とコメントをしていました。
結局そのことがネックとなり、イラン協会側は「クレメンテとは契約しない」と正式発表。イラン協会の考え方や事情は詳しく知りませんから、契約に至らなかった理由のすべてがテヘランに住まないからなのかはわかりません。でも、大きな理由の一つであることは間違いなさそうです。
クレメンテ自身監督をやることに意欲的だったのですが、協会はどうしてもそこを譲れなかったんでしょうね。
もしかしたら日本の皆さんは「その国の代表監督なんだからその国に住むべきだ。そうじゃないと真面目に仕事をしているようには見えない」と思われるかもしれませんが、やっぱりスペイン人にとって自分の国、自分の町はとっても大切なんですよね。町というより家族です。
しかも、代表監督とはある一定期間拘束され、また空白期間ができて……という仕事ですから、特に住む場所に影響されないはずです。
結果を出していれば……という条件つきですが。
実際、2006年ワールドカップでドイツを3位に導いたクリンスマン監督の居住地はアメリカでしたし。
これも考え方の違いなんでしょうか。文化摩擦ですね。 |