GAKKEN SPORTS BOOKS 最新版サッカールールブック
最新版
サッカールールブック
監修: 高田静夫
著: 三村高之
とっつきにくいサッカールールの内容を、日本人が理解しやすいようにジャンル分けして構成。判定の難しいケースもイラストを多く使って、簡単にわかるように解説。「日本でいちばんわかりやすいルールブック」の最新版。何かあったときに簡単に調べられる。
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ホルヘ・三村

南米通信 ~ラ・ビダ・デ・ホルヘ~

ホルヘ・三村
1960年10月23日生まれ。東京都出身。元々の南米サッカー好きが、89年のコパ・アメリカ取材を契機に沸騰。91年、気がつけば職を捨て、単身エクアドルに立っていた。現在はアルゼンチンのブエノスアイレスを拠点に、コパ・リベルタドーレス、コパ・アメリカ、ワールドカップ南米予選や各国リーグを取材している。そのかたわら、酒を中心とした南米各国のナイトライフにも造詣が深い。というよりそれに溺れ、酒とサッカーの日々を送っている。

アルゼンチン

■インデの珍監督

2018.08.07

スペイン語ではアルファベットの「H」を発音しない。「HA」は「ハ」ではなく「ア」となる。したがってHOTELはオテルなのだが、文字を読まずに音だけを聞くと、Hがついているのかいないのかわからない。

1993年にエクアドルのクエンカで安宿に泊まったときのこと。今のようにインターネットでホテルを調べたり予約したりできなかったので、現地の知り合いに「安いホテルを押さえてくれ」と頼んでおいた。たしか1泊20ドルくらいと伝えたはずなのだが、相手はより安いほうがいいだろうと判断したようだ。料金は、1泊7ドル。ベッドのマットレスは人型の窪みができており、なにやら棺桶の中で寝ているような感じだった。

このときはコパ・アメリカの取材で、協力関係にあったエクアドルのエスタジオ誌のスタッフは別のホテルに滞在していた。彼らを訪ねるべく、ホテルの場所をフロントで訊くと、「今、電話帳で調べます」との返事。フロントの係は16~7歳と思われる若者2人で、彼らが一生懸命ページをめくっているが、なかなか見つからない。「たしかHOTEL CUENCAって聞いたけど、名前を間違えたのかな」と不安になりかけたとき、若者の1人が、「オテルってHで始まるんじゃなかったけ?」と気づき、やっと見つかった。「オテル・クエンカ」を探すのに、彼らは「O」のページをめくっていたのだ。自分たちもホテルで働いているというのに、なんと間抜けなことだろう。

秋葉原は今や、アニメの聖地や流行の発信地として世界的に知られている。AKIHABARAにも「H」が入るので、スペイン語では「アキハバラ」でなく「アキアバラ」と発音される。この発音だけからでは、「H」が入るかどうかわからない。したがって音のとおりに書くと、「AKIABARA」と「H」が抜けてしまう。アルゼンチンには、このAKIABARAというファッションの高級ブランドがある。会社名にするのなら、なぜちゃんと調べないのかと不思議に思う。

しかし人間にとって大切な氏名は、さすがにしっかり発音される。というか、本人が正しい発音を強調する。たとえば細川さんなら、「オソカワでなくホソカワです」、博美さんなら、「イロミでなくヒロミです」といった具合だ。アルゼンチンは移民国家なので、さまざまな国の氏名が存在する。そこはアイデンティティを尊重し、母国語で発音するのが一般的だ。今回スルガバンクカップでセレッソ大阪と対戦するインデペンディエンテの監督もHOLANと書いてホラン。父方の祖父がチェコスロバキアからの移民だという。

このホラン監督はとても変わった経歴の持ち主なのだ。

少年時代は、プロサッカー選手を夢見るアルゼンチンでは一般的な子どもだった。しかし家庭が教育熱心で、息子をバイリンガルにしようと英語のレッスンに通わせていたため、サッカーに打ち込める時間は少なかった。それでもバンフィルのジュニアユースチームに入り、ときには親の目を盗んで練習していたが、父親から、「お前には、プロになるほどの才能はない」といわれ、ある程度の限界を悟るようになったという。

そんなある日、学校での出来事が彼の人生を変える。ホランが15歳のとき、学校はホッケー大会で盛り上がっていた。アルゼンチンは女子ホッケーの人気が高い。代表チームのラス・レオナスは、ワールドカップ2度優勝、オリンピックで銀メダル2個、強豪国によって争われるチャンピオンズ・トロフィーでは7度も優勝している。

近隣の学校にはすべて女子ホッケーのチームがあり、その対抗戦に皆が熱狂していた。するとチームの監督がホランに、「男子チームを作る気ないか? 君はサッカーをやっているんだろう、サッカーもホッケーも同じだ。スティックがあるかないかだけだ」と声をかけ、これがきっかけでホッケーへ転向。成人してからは体育教師をしながら男女各年代の監督を務め、2003年のパンアメリカン大会では、ウルグアイ女子代表を率い、同国初となる銅メダルへと導いた。パンアメリカン大会はアジア大会と同じく地域版のオリンピックで、北中米の40数カ国が参加するスポーツの祭典だ。

この功績でホッケー界における評価が急上昇したホランだが、なんと同年、サッカーへ転向。本人にいわせれば、「サッカー界へ戻る」ことになった。プロ選手をあきらめたときから、「将来はプロチームの監督になる」と思っていたそうだ。畑違いからの大胆な転身ではあったが、ホッケーでの実績、選手指導の経験、そしてその間に築かれた人脈により、いきなり1部リーグのアルセナルのトップチームでアシスタントコーチとして採用される。監督は、1986年メキシコワールドカップで優勝を決めるゴールをマークしたブルチャガ。その後、エストゥディアンテス、インデペンディエンテ、バンフィル、リーベルなどでアシスタントを務め、2015年にデフェンサ・イ・フスティシアで監督に就任。翌年からインデペンディエンテを率い、17年のコパ・スダメリカーナを制してスルガバンクカップの出場権を獲得した。

学生時代にいわれた、「サッカーもホッケーも同じだ」という言葉は、彼のベースになっているのかもしれない。むしろ、ボールを上げられないホッケーのほうが緻密な戦術と選手の動きが要求される。ホッケーの要素をサッカーに取り入れて融和させた監督は、世界でも稀な存在だろう。ホランが監督として珍しいのは、その服装にもある。サッカーの監督といえば、スーツでバッチリ決めるか、ジャージなどのスポーツウェアが定番。しかし彼は、セーターにジーンズという、おじさんの普段着という格好が多い。夏の日本ではTシャツかポロシャツだろうが、そのファッションセンス(の無さ)にも注目してもらいたい。ちなみに、インデペンディエンテのキネシオロジー(マッサー)は日系の花城さん。もちろん、「アナシロ」でなく「ハナシロ」と呼ばれている。

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