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グルーポ・ニーチェというサルサバンドのコンサートに行ってきた。音楽を聞くのは嫌いではないが、コンサートに足を運ぶことはめったにない。しかし小6か中1のときに、マンボのペレス・プラード楽団とデビュー直後のキャロルの無料コンサートに行っている。ペレス・プラードはラテン音楽好きの父に連れて行ってもらい、キャロルは兄がLPレコードを買ったら招待券を2枚くれたので同行した。日本では、記憶に残っているのはこれくらい。そしてアルゼンチンでは、3年ほど前にビーチボーイズのコンサートに行っている。実はホルヘ、元はオールディーズの好きなロックンローラーだったのだ。
今はなき渋谷のソウルトレインというディスコが、毎週水曜日にロックンロールデーを開催していた。当時、ダンス音楽の主流はソウルミュージックで、ロックンロールは少数派。しかしこのディスコは、少数派のために水曜日はロックンロールだけをかけてくれた。しかも高校生で金のないホルヘにはありがたいことに、5時までは入場料500円というサービスがあり、学校から直行して踊りまくっていたものだ。表参道の歩行者天国で初めて踊ったのも、ほぼ間違いなくわれわれのグループだった。ただし代々木公園のほうではなく、キディランドの向かいあたり。歩行者天国とはいえ、当時は道路で踊るのが認知されていなかったため、踊り始めると近くの交番からすぐに警官が飛んできた。「歩行者天国だから、いいじゃないか」というと、「歩行者天国は歩行者のためのものだ」と警官が屁理屈をいう。「じゃあ、歩けばいいんだろ」と歩きながら踊ったりしたものだ。またオールディーズ界では有名なクリームソーダというブティックでバイトをするなど、ホルヘはロックンロールにはまった青春をすごしていた。
しかし、それも今は昔。日本でワールドカップが開催されるなど、全く想像もできなかった30年前の出来事だ。そしてこの30年の月日がホルヘをどのように変えたかというと、たいして変わっていないどころか、ろくに成長していない。しかし音楽の嗜好は、ロックンロールからラテンにシフトしている。ただ、一口にラテン音楽といっても奥は深い。フォルクローレからサンバ、ボサノバ、メレンゲ、タンゴにチャマメ、ルンバと種類が豊富。これらの中でホルヘが好きなのは、メキシコのボレロやマリアッチの音楽、そしてサルサだ。同じ南米でも、たとえばアルゼンチンでダンス音楽といえば、欧米のロックかクンビア(自国のオリジナル音楽)が主流。ブラジルはサンバだし、ウルグアイやパラグアイもアルゼンチンに近い。しかし太平洋側の各国では、もちろん伝統音楽でも踊るが、ダンスといえばサルサやメレンゲといったトロピカルミュージックなのだ。
はじめてエクアドルに行ったときは、音楽でカルチャーショックを受けた。60歳過ぎのばあさんが店番している売店で、ラジオからサルサが大音響で流れている。しかもばあさんはノリノリなのだ。アミーゴの家で、一族親戚数十人が集まるパーティーがあるというので招待されたら、じいさんばあさんが元気にサルサを踊っていた。とにかく、生活に根付いているという感じだった。そしてそこでホルヘもサルサにはまり、中でもグルーポ・ニーチェというコロンビアのバンドのファンになった。そしてコロンビアに行ったときに彼らのベストアルバムを購入。アルゼンチンに戻ってからペルーの女の子にこれを見せると、「キャー、貸して貸して」と大人気。これを小道具に使い、ずいぶんとモテた。しかしこのグルーポ・ニーチェ、アルゼンチン人の間では全くといっていいほど無名の存在。
そしてそのバンドが、今回はじめてアルゼンチンにやってきたのだ。これは行くしかあるまい。早速前売り券を購入し、首を長くして当日を待った。会場となるのはメガディスコ・コーリー。その名のとおり、馬鹿でかいディスコであった。ディスコに入ったのは、渋谷のソウルトレイン以来かもしれない。客のほとんどはアルゼンチン在住のペルー、コロンビア、エクアドル人。平均年齢はけっこう高い。開場は10時だが、演奏開始は午前1時に近かった。南米の人は、週末となれば朝まで遊ぶ。単独行動で手持ち無沙汰のホルヘは、ウラカンという怪しげなカクテルで時間をつぶした。そして、これが効いた。なんでも、ウィスキーにウオッカとテキーラをぶち込んでいるらしい。そのおかげで演奏開始時には最高の状態に仕上がり、リズムに合わせて自然と身体が動く。しかし1人で踊っても面白くない。まわりではいくつかのカップルが、クルクル回りながら鮮やかに踊っている。それを見たホルヘ、「よし、今度はダンス教室に通い、ペアで踊れるようになろう」と酔った頭で誓ったのだった。 |