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今年は日本人のブラジル移住100周年にあたり、皇太子さまがその式典に参加された。移民第1号は、100年前に笠戸丸で異国の地へ旅立ち、そしてその子孫の何人かは、日系サッカー選手として日本に渡ってきている。古くはネルソン吉村、ジョージ小林、セルジオ越後、ちょっと間をおいてジョージ与那城といった面々がそれだ。この中でホルヘのヒーローは、元読売クラブのジョージ与那城。ラモスも、彼がいなければあれほどの成功は収められなかっただろう。帰化して日本代表に入ったが、起用は木村和司の控えということが多かった。当時、一サッカーファンだったホルヘは、森孝慈監督に届けとばかり、「与那城出せー」とスタンドから叫んだものだ。
この与那城という姓からもわかるように、彼のルーツは沖縄だ。その昔、巨人軍には、ハワイ出身の与那嶺という選手もいた。彼も沖縄移民の二世だった。このように、移民者には沖縄出身が多い。それは、あの島々での生活が厳しく、「同じ苦労をするのなら、可能性のある新天地で」と、遠い異国への移住を選んだからだという。そして100年前の笠戸丸にも、沖縄出身者は乗船していた。このため、先週はブラジルで、今週はアルゼンチンで、沖縄人移住100年祭が行われた。8月30日には、アルゼンチンの大統領府と国会議事堂を結ぶ目抜き通り「アベニーダ・デ・マージョ」で、沖縄の伝統舞踊などの民族パレードを披露。沖縄からは約400人がチャーター便で訪れ、ハワイや南米各国からも沖縄出身者が集った。
こうしたお祭り騒ぎの中、記念ゴルフ大会が企画された。アルゼンチンには、沖縄出身者が経営するゴルフ場がある。ちなみに、ここはホルヘのホームコースである。名物ホールは4番と5番で、フェアウエーが狭く、右も左もOBゾーン。ここでホルヘは、OB8連発という記録を作った。しかし昨年、北京オリンピック100メートル金メダリストのボルトみたいなアルゼンチン人が現れ、12連発であっさりと記録を塗り替えてしまった。12回OBをすると、13回目のショットは25打目ということだ。とても、この記録に挑む気力はない。
アルゼンチンで、沖縄出身者が経営するゴルフ場はここしかない。立地条件も問題ない。となれば、100周年記念大会はこのコースで開催されるのが当然の話だ。ところが、内紛絡みですったもんだした揚げ句、パレードや式典を含む100周年祭全体を主催する団体は、別のゴルフ場を大会会場に決めた。しかし、一度は開催の打診を受けていたクラブは、すでに準備を進めていたため、結局、同じ日に2会場で記念大会が開催された。まあ、それぞれに言い分があるのだろう。言い分はあるが聞く耳がなかったということで、分裂開催に至ったわけだ。困ったのは、団体側にも属し、ゴルフクラブの会員でもある人たち。両方から参加を迫られるが、あちらを立てればこちらが立たず。そのため、本当はゴルフをしたいのだが、両方を断った人も多い。その点、団体にもクラブにも属していないホルヘは気楽なもの。単純に、いつもプレーしているゴルフクラブでの大会に参加した。
この客引き合戦は、海外から訪れた人たちにも及んだ。団体側はオフィシャルの強みを発揮し、クラブ側は情の厚さで訴える。ボリビア組とブラジル組の約20名が、前夜になって参加大会を変更したり、当日早朝、宿泊ホテルまで迎えに行って身柄を確保するなど、激しいバトルが行われた。これはまさに本末転倒。みんなが集って祝うべき100周年祭が、同胞分裂のきっかけとなったのだ。この問題が起こるまでは、仲良くゴルフをしていたのに、今や敵対関係になってしまった。沖縄の伝統的なお墓は、家のように大きくてとても立派だ。これは、先祖崇拝が強いことを表している。今回の騒動の関係者と、100年前に笠戸丸でやってきた人たちとは血縁関係はないかもしれない。しかし、基礎を築いた先駆者たちは、移民の先祖ともいえる。それをたたえ祝うはずの100年祭での出来事に、ご先祖様も草葉の陰で嘆いているだろう。とにかく、早く仲直りしてもらいたいものだ。
今回の大会では、他国からの来訪者に楽しんでもらおうと、名物の4番と5番ホールで右サイドのOBをなくした。隣のコースに打ち込んでも、そこからプレーを続けられるようにしたのだ。ゴルフはメンタルなスポーツというとおり、この効果は大きかった。いつもはOBを恐れてアイアンでティーショットする地元ゴルファーが、「スライスしても構わない」とドライバーでフルスイングすると、それがフェアウエーをキープ。ゴルフって簡単なものだ。しかしホルヘは調子に乗らず、ドライバーではなく3番ウッドでティーショット。打ったボールは左へ飛び出し、柵を越えてゴルフ場の外へと消えていった。うーん、やっぱりゴルフは難しい。 |