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オリンピックもアッという間に閉幕。アルゼンチン勢は、サッカー男子のほかに自転車のマディソンで金メダルを獲得した。この競技はペアでバンクを周回するもので、クルチェとペレスの2人が、予想外のメダルを母国にもたらした。まあ、それだけでもすごいのだが、さらに驚くべきは、クルチェは43歳のオジサンだということ。前回オリンピックで銀メダルの山本先生や、今回の法華津さんのように日本にも高年齢者はいるが、種目はアーチェリーと馬術。体力よりも、経験や技術によって成績が左右される競技だ。しかしクルチェの自転車競技は、力の限りペダルをこぎ続けなければならない。このような体力勝負の種目で、オジサンが世界一に輝いたのだから素晴らしい。そしてこのクルチェ、今回がなんと6回目のオリンピック。日本の橋本聖子は、84年サラエボから96年アトランタまで、スケートで冬季4回、自転車で夏季3回の計7回出場しているが、彼は84年ロサンゼルスから08年の北京まで、夏季大会6連続出場という偉業を果たした。そして、今回が最後となるオリンピックで有終の美を飾ったのだ。継続は力なり、とはよくいったものだ。同じオジサンとしてホルヘも刺激を受けたので、これからもがんばって酒を飲み続けることにしよう。
サッカーは、準決勝でライバルのブラジルを完膚(かんぷ)なきまでに叩きつぶした上での2連覇達成と、最高の結果に終わった。それに比べて日本の情けなさ。日本に限らず、アジアは全滅という感じだった。今のやり方では、これが限界なのかもしれない。日本のサッカーの特徴は、リズムが速くて選手がよく走ることだ。しかし短距離はジャマイカ勢、長距離はアフリカ勢が圧倒的に強かったのだから、日本人は特別にカケッコが得意なわけではない。つまり、それほど得意でもないものを前面に押し出したところで、素晴らしい結果は期待できないのだ。では、何を前面に押し出すのか、と問われると困る。技術もブーだし高さもブーだ。しかし、「前面に押し出す」というのとは異なるが、リケルメのプレーを見ていてひらめいたことがある。
今回のリケルメは、得意のFKも不発だったし、それほど目立った存在ではなかった。しかし、ゲームコントロールという点では、非常に重要な役割を果たしたといえる。彼を見ていると、「ここはチャンスだ」と思うようなシーンで、ボールを後ろに戻してチャンスを意図的に逃がすことが多い。これは単なる駆け引きともとれる。しかし、第六感や予知能力によるものかもしれない。都並敏史さんから聞いたのだが、ラモスには独特の感覚があったという。「あと2メートル前」とポジションを微調整され、それに従うと、本当にボールがそこに来た、ということを何度も経験したそうだ。また、全員が攻撃の態勢になったときに、「行くな」とラモスが止めることもあったという。それは、「相手がカウンターを狙っているから」という理由だったそうだが、きっと何か不吉なものを感じたからなのだろう。
今の日本が必要とすべき、あるいは頼るべきなのは、こうした能力ではないだろうか。非科学的などと馬鹿にしてはいけない。アメリカでは真面目に超能力の研究をしている。ラモスよりも正確で高度な予知能力をもった選手がいて、それを活用すればすごく有利になる。なにも全員がそうである必要はない。キーマンとして2~3人だ。だいたい、全員が超能力者だったら、“蹴球戦士イレブンジャー”とかいう戦隊モノになってしまう。日本では子供のころから、どれだけ監督の指示通りにプレーできるか、ということがテーマになっていて、選手もそれを目指して努力している。したがって、第六感の優れた選手も、その能力に覆いをかけている。しかし、子供のころからそれを引き出すようにしてやれば、その能力は伸びるはずだ。剣豪小説を読むと、武芸の達人は、予感や勝負勘に優れており、それによって幾多の修羅場をくぐり抜けている。小説だからオーバーなこともあるが、名を遂げた武芸者は、剣の技量以外にも特殊な感覚を備えていたに違いない。大昔の武芸者がもっていた能力を、現代の侍ジャパンがもてない道理はない。
そこで提案。日本サッカー協会は、予知能力者を養成するため、「シックス・センス・プログラム」を立ち上げるべし。これが実現の運びとなり、予知能力選手が誕生し、彼らの活躍によってワールドカップで優勝すれば、ホルヘはこのプログラムの提案者として、サッカー殿堂に入れるかもしれない。 |