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| スタジアムへの入り口 |
93年当時の思い出の地へ、足を踏み入れる |
清水 六川さんは、イラクが2-2に追いついた後半ロスタイムの悲劇の同点弾を、実際に写真に収めていたんですよね。
六川 僕は前半も後半も、基本的には日本の攻撃をフォローしていたんだよ(イラクのゴール裏でカメラを構えて日本の攻撃を撮っていた)。そして終了間際になり、カメラマンが試合中に場所を移動していいのかわからなかったけど、慌ててカメラを構えて、俺だけ機材を持って日本のゴール裏に移ってきたんだよ。
清水 なぜ、そんなことをしたんですか?
六川 サポーターの歓喜の瞬間を撮るためだよ。当時、日本が勝ったらサポーターがゴール裏からピッチになだれ込むっていう情報を聞いてたからね。
清水 なるほど。
六川 そして日本の左サイドからイラクのCKがあって、GK松永成立はゴールから逃げるボールが飛んで来ると読んでいた。ところがボールはゴールに向かう軌道で飛んで来て、逆を突かれた。そのまま入ると思ったけど、松永は必死にパンチングで逃げて、2回目のCKになった。ここでラモス瑠偉は、「タイムアップだ」と思った。2回目のCKはもう時間がないから、「ゴールに向かって直接上げるだろう」と誰もが思ったら……。
清水 ショートコーナー、だったんですよね。
六川 そう。そしたら慌ててカズが止めに走ったんだよ。そして足を出したところを相手にドリブルでかわされ、クロスをあげられた。ボールはペナルティーエリアに山なりの軌道で飛んで……。
清水 イラクのオムラムがヘディングシュートを決めた。
六川 サポーターは何が起こったのかわけがわからず、あぜんとしてたよ。
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| この辺りからオムラムにヘディングを決められ、日本は初出場を逃がした |
清水 そのとき、後藤さんはメインスタンドで見ていたんですよね?
後藤 出場枠を争っていた韓国がリードしていたのは知っているから、引き分けた時点でダメなのはわかっていた。だけど一応、新聞社の人に確認して、サポーター席に向かって手で×印を送ったよ。他の会場の結果を、ゴール裏のサポーターたちは知らないからさ。みんな必死でメインスタンドの動きを見てたんだよ。
清水 今と違って、ケータイやインターネットでササッと確認できてしまう時代ではないから、それはそれで一体感がありますね。
後藤 あのときの予選は「ケロア事件」なんてのもあった。「JAPAN-KOREA」っていう垂れ幕を作り、韓国のOとEを入れ替える。「KEROA」っていうのは、韓国では「犬野郎」って意味だから。そういうのを作って、韓国で大問題になってしまった。
清水 ずいぶん無茶をしましたね……。
後藤 さらにイラク戦の一つ前の韓国戦(カズのゴールで1-0で勝利)を、フジテレビが中継したんだよ。でもフジテレビは普段サッカー中継をしてなくて、それなのに何だよっていう雰囲気があったわけ。で、最終戦は東京12チャンネル(現テレビ東京)だったんだよ。12チャンネルは当時からサッカーをずっと放送してくれてたから、フジテレビが中継している韓国戦の最中に、スタンドから「がんばれ東京12チャンネル」なんて垂れ幕が出たりして(笑)。そうすると、こっちのテレビ局がそれを撮るわけだよ。そういう仕掛けをいろいろやって、最後のイラク戦で何をやろうかって話になった。そして、「JAPAN-IRAQ」って垂れ幕を書いて、「IRAQ」のQのヒゲ部分を、サダム・フセインのヒゲにしたわけだよ。明らかにわかるように。そうしたらイラクのヤツらがハーフタイムに襲ってきて、それを奪っていっちゃったんだよ。
清水 今それをやったら、大問題になっちゃいますね。マネしちゃいけません。
後藤 さっき、六川さんはサポーターを撮るために移動してきたっていってたけど、実はどこかで、追いつかれてしまうような予感もあったんじゃないかな……。僕もね、2-1でリードしてて、もし同点になっちゃったらって考えて、終了5分前でもう一度ノートに表を作って、あぁやっぱり同点になったらダメなんだって確認してたんだよね。何か、そういうふうになってしまう気がしてたんだろうね。
清水 対戦相手のイラクはもう、出場は不可能な状態だったんですよね。どんな様子だったんですか?
後藤 イラクはもう、日本に勝ってうれしいっていう感じだった。イラクはそのとき、すごくイジメられていたからね。イラクは1戦目の後から、ババ・ダウードっていう素晴らしい名監督が就任した。で、その後から次々と選手が出場停止になってね。アメリカワールドカップにイラクを行かせたくないから、日本戦の前も何人か出場停止になっていた。さらに日本戦の前夜になって、追加で何人か出場停止になった。そんな中でイラクは、チームを作って最後までいいサッカーをした。
清水 あの予選では、湾岸戦争で国際社会に迷惑をかけたイラクを、アメリカワールドカップに行かせてはならないとする意思が働いたといわれていますよね。
後藤 あのとき、間違いなく日本がいちばんいいサッカーをしていて、2番目はイラクだった。これはそのときドーハに来ていた、ヨーロッパのレフェリーも同じことをいっていた。アメリカワールドカップは、日本とイラクが行くべき大会だったんだよ。サウジアラビアは守ってばっかりで、あのときの韓国もいまいちだったし。
清水 サポーターは何人くらい来ていたんですか?
後藤 うーん、100人くらいかな。試合が終わって、僕は翌日に移動する前に原稿を書いて行かなきゃいけない状態だった。夜、ホテルに帰って、もう暗い気持ちの中で原稿を書いてたんだよ。すると、次から次へといろんな人が尋ねてきた。「今は仕事してるから後にして」っていっても、「どうしても話したいから5分だけでいいから」って、そういう人が何人も来るわけ。
清水 それはもう、やり場のない思いみたいなもので?
後藤 そうそうそう。何かをしゃべんなきゃって感じだよね。日本が勝ったら、みんなでサポーターが街中までワーワー騒ぎながら帰ろうっていってたのに。記者会見も誰も質問しない。僕ともう1人、質問が出たけど、それだけだった。
清水 ここ……今の日本代表の選手も来ればいいのに。
後藤 そうだよ。ここで練習させればいいんだよ。CKからの守備はさ、今の代表の大きな課題なんだから(笑)。
清水 このスタジアムでCKの練習ってすごいですね(笑)。だけど、本当にここからすぐ近くの場所なんですよね。今、日本代表が練習してるのは。ここから徒歩で行ける距離なのに、なんでこっちのスタジアムでやらないんだって話ですよね。
後藤 ここはやっぱり、なつかしいな。
清水 スタジアムは変わりました?
後藤 メインスタンドは、たぶん全面的に改装したような気がするな。前は記者席がずっと横一列に並んでいた。急きょ置いたような机だけど、そんな汚くはなくて、見やすかった記憶がある。
清水 今は記者席がはしっこのほうに寄せられて、机が備え付けられてますね。
後藤 さっき、そこの入り口からスタジアムに入ってきたとき、「うわ~これだぁ」って思ったよ。ここまで記憶が蘇って、懐かしい気持ちになるとは思わなかった。こんなに感激するとは思わなかったな。
六川 後藤さんがドーハの悲劇を目撃したのが15年前でしょ。で、今はもうワールドカップに3回も出て出場が当たり前になってる。そうなると……次の15年で日本のサッカーには何が起こるんだろうね?
後藤 そりゃあ……、ワールドカップ初優勝だよ。
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| メインスタンドには改修が入っていた |
>2010FIFAワールドカップ南アフリカ最終予選 日本代表-カタール代表 対談レポートへ
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