持てる力をすべて出し尽くしたナイジェリア戦。消化不良感を残したアメリカ戦とは違い、試合が終わった後もスッキリとした気持ちになれた。チームを取材していた自分としても、「まったく悔いは残っていない」という反町監督の言葉に共感した。
観戦している間も心臓はバクバクと脈を打ち続け、ピッチで戦う選手と気持ちを同じくしていることを感じていた。日本の選手はこんなにも戦うことができたのか、と驚いた。
観衆はずっとナイジェリアを応援し続けた。しかし、気のせいかもしれないが、後半にナイジェリアがボールを回して時間を稼ぎ始め、それに対して日本が必死にファイトする姿を見せると、わずかだがナイジェリアの応援の勢いが弱まったようにも感じた。選手たちを誇りに思う。
しかし、あえて賛否両論の否側に回れば、ナイジェリア戦は「負ける前提で戦った試合」という感じは否めない。
日本の攻めはダイナミックだったが、決してリスクを恐れずに戦えたわけではない。バランスや戦術、つまり考えることを放棄して、捨て身で戦っただけの話だ。こんな試合を、短期決戦の中で二度とできるわけがない。実際に内田篤人や安田理大など、負傷を訴える選手も続出している。他の選手のコンディションも、たった2日では元に戻らないだろう。オランダなどの強豪国であれば、たとえ1戦目で負けていたとしても、2戦目でこんな戦い方をするはずはない。
日本は試合に勝つために戦ったのではなく、後悔しないために戦った。消化不良を残さないための戦いをした。今、冷静に振り返ると、目的がスリ変わっていたのではないかという違和感はある。「後悔しないために戦う」という考え方も、陸上や競泳のような個人競技ならOKかもしれない。そもそも一瞬にかけてどれだけ全力を出せるのか、というスポーツなのだから。
しかし、サッカーのような対人スポーツは違う。イタリアのように全力を出す相手のすきを突くこともできるし、ブラジルのように悪いなりに勝つということもできる。もしも相手がナイジェリアではなく、上記のような強豪国なら、カウンターから4、5点取られていてもおかしくはなかっただろう。
しかし、日本はこういう戦い方をしなければ、ゴールを奪える可能性が低かった。もともと感じていた得点力への不安を、アメリカ戦でさらに深めてしまったからだ。もう二度とアメリカ戦のような試合をしたくない。何もせずに日本に帰るのだけはイヤだ。圧倒的な自信のなさは、反町ジャパンをカミカゼへと変化させた。
日本人ではなくても、初めてサッカーを見た人には非常に楽しめる試合だったと思う。戦術やポジションバランスという、彼らにとっては敷居の高いものをすべて捨て去ったのだから。人の記憶に残るためには、戦術なんて必要ないのかもしれない。
ただし、上記のようなチームとしての問題はともかく、バランスや戦術を考えずにそれぞれがフルパワーを出し尽くしたことで、日本の個人の力がどれだけ世界に通用するのか、ということはわかった。個については予想以上に通じたというポジティブな感想を持っているが、一方で、ゴール前での技術の低さ、失点シーンで安田がつめられなかったあと一歩の間合いなどに、世界との絶望的な差を感じているのも事実だ。
この反町ジャパンが戦った2試合は、非常に多くの意味を持っているのではないだろうか。日本の良さ、日本の悪さなど、さまざまなヒントを吐き出してくれた。これからたくさんの議論を重ねるべきものだと思う。
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| 反町ジャパンの最終戦を取材するため、瀋陽(SHENYANG)に到着 |
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