第8回AFCフットサル選手権
“万年2位”からの脱皮
日本が遂にアジア王者に
1年前のベトナム大会でアジアで初めて“イラン越え”を果たした日本。決勝で再戦して敗れはしたものの、この大会で披露したムービングフットサルはアジアに衝撃を与え、「ナンバーワンチーム」の呼び声も高かった。そのためこの年のウズベキスタン大会で、日本はイランと同格の「優勝候補」として乗り込んでいた。
大会の前に壮行試合について触れておきたい。ゴールデンウィーク真っ只中に行われた、フットサル界のスーパースター・ファルカン率いるブラジル代表とのゲームは、2試合で約1万5000人を集客した。特に第2戦、8749人の大観衆で埋まった代々木第一体育館のスタンドは壮観な眺めだった。「ファルカンが見たい」というミーハー層と、出稼ぎに来ている在日ブラジル人の結集が手伝っての記録的動員だったが、ホーム開催の今大会でも、決勝あたりではこれぐらいの観客を集めたいところだ。
この大会での日本代表の変化といえば、“海外組”の増加だろう。ベトナム大会時は鈴村拓也(スペイン・バルガス)1人だったが、立て続けに木暮賢一郎がスペインのナサレノへ、小野大介がイタリアのC.L.T.テルニへと移籍して、一気に3人に増えた。大会期間とリーグの終盤戦がバッティングする関係で、参加が危惧されたのも初めてだった。また、彼らは国内合宿は当然のこと、3月のマカオ遠征、4月のブラジル遠征にも参加しなかったため、コンビネーション不足も懸念された。
やはりというべきか、グループリーグはチーム全体がどうも噛み合わなかった様子。グループ最弱と目されたイラクとの初戦に2-0と僅差で勝利、最終戦のタジキスタン戦では11-6と不本意な打ち合いを演じてしまった。僕が取材したのは準決勝以降なのだが、個人プレーに走る選手がいたり、味方がミスをしてもフォローの声はない。そんな雰囲気がチーム内にあったそうだ。
グループリーグは突破したが、2日後には大一番、イランとの準決勝が待っている--。タジキスタン戦後、ホテルでの全体ミーティング終了後、サッポ監督から「お前たちだけで話し合ってみたらどうだ」と促され、選手ミーティングが行われた。ここでは実質的に“ダブルキャプテン”となっていた比嘉リカルド、藤井健太を中心に、「イラン戦にはチームが1つになっていないと勝てない」など主に精神的なことが話し合われた。(当時、僕はフットサルネットのレポートでこれを「タシケントの夜」と安易に命名し、菊地さんに「手垢まみれの表現だ!」といわれた)。
そして迎えた、イランとの準決勝。決勝の定番カードが1つ前で実現した。イランはヘイダリアンが監督との確執で代表から外れており、いつにも増してシャムサイー頼みの感が強かった。日本はこの大会で鈴村と共に守備の2本柱の1人に成長した小宮山友祐が、シャムサイーにマンツーマンでついて仕事をさせない。そして、CKから鈴村が打ったシュートをGKが弾いたところを、高橋健介が押し込んで日本が先制する。シャムサイーにFKを叩き込まれ1度は同点に追いつかれたが、イランGKの退場という追い風もあり、木暮のゴールで勝ち越しに成功する。その後、小野が前掛かりになったイランの裏を突いて、さらに3点を追加。最大の強敵を、予想外の5-1という大差で退けた。
決勝の相手は開催国ウズベキスタンだった。実力的にはイランには劣るが、会場のスポーツ・コンプレックスは地元の観客で超満員。アウエーで先制されて波に乗られるとやっかいなことになるのは目に見えていた。日本は前半、ホームの歓声に後押しされて攻め込んでくるウズベキスタンをうまくいなし、0-0で前半を折り返す。そして後半、木暮、鈴村のゴールで2点をリード。パワープレーで攻めに来る敵の裏を突いてゴールを重ねるという、イラン戦と同じ展開となり、スコアも同じ5-1でウズベキスタンに勝利した。
サッポ監督が就任してから1つ1つレベルアップしてきた日本が、アジアナンバーワンになった。表彰台ではあのブワーッと飛び出す紙ふぶきをバックに、比嘉と藤井の2人がトロフィーを掲げた。相根澄、市原誉昭、難波田治らはいなかったが、藤井をはじめメンバーには日本フットサルの創世記を知っている選手も多い。彼らにとってはまさしく感無量の優勝だったろう。また、木暮は今大会でもMVPを獲得、この年の初代AFCフットサル最優秀選手にも選ばれた。 |