第6回AFCフットサル選手権
3年連続の準優勝
世界選手権行きを決める
2004年の第6回大会は、日本にとって初めて世界への切符を勝ち取った、記念すべき大会になった。厳密にいうと、世界選手権には日本は1989年にオランダで行われた第1回大会に招待出場しているから、今回が初出場となったわけではない。ただその後、予選が行われるようになった第2回(92年香港)、第3回(96年スペイン)、第4回(00年グアテマラ)とアジアで敗れていた。長い年月をかけて、このとき初めて予選を突破したわけで、気持ちは初出場同然。特にこのときは4年前のタイで行われた予選(兼AFCフットサル選手権)で敗れたときのメンバーも多くいて、喜びもひとしおだった。
マカオで行われた今大会には、世界選手権行きがかかっていたこともあって、多くの日本人サポーターが会場に掛けつけ、大会を賑わせていた。イランの力はまだ抜けていたが、過去2大会連続準優勝で2番手の位置を確保していた日本。世界選手権の出場枠は3枠。まずは、確実に準決勝を突破するという気持ちで臨んだ大会だった。
グループリーグはレバノン、キルギスタン、フィリピン、マカオと対戦し、危なげなく1位突破。グループリーグの成績を見ると、失点1と全体で1番の相変わらずのディフェンス力を発揮していたが、攻撃面でもイランに次ぐ37得点を挙げている。セルジオ・サッポ氏が正式に監督になってから、日本は攻撃力が増していた。それは、エースの木暮賢一郎や小野大輔らを、前線で攻撃の起点になるピボとして重用したことによる。
「ピボ当て」といわれる、彼らのポストプレーを利用した攻撃を中心に据えた日本だが、これは何も当時真新しい戦術だったわけではない。むしろ日本の競技フットサルではよく知られ、一部では古臭いともいわれていたやり方だった。しかし、各所属チームで半分監督のような役割を担って新しい戦術を追っている、うるさ型の選手が多く集まったこのチームにおいて、一段階手前の戦術だったピボ当ては全員がこなせる共通項的なやり方として拠りどころとなり、これが非常に大きかった。また、今回がアジアデビューだったにも関わらず、小野がピボとしてきちんと活躍できたことで、木暮だけではない攻撃のバリエーションができ、このやり方を貫くうえでいいほうに作用した。
準々決勝は国内にプロリーグができたことで、そのプレー振りが注目されていた中国との対戦。日本はセットプレーから2度追いつかれたものの、失点シーン以外は手堅い守備と運動量で中国を圧倒し、5-2で勝利する。続く勝負の準決勝。ウズベキスタン相手に日本は後半頭までに3-0とリードし順調だったが、そこからナーバスになってドタバタとなる。短い時間でファウルがあっという間にかさみ、第2PKで1失点。その後も押し込むウズベキスタンに防戦一方となり、かなり危ない展開となった。相当に長い(と感じた)時間を耐え、逆に木暮が4点目を入れたのが大きく、その後反撃を1点に抑えて4-2で勝利した。試合後、ピッチのあちこちで号泣しながら抱き合うチームの姿があった。
決勝はイランとの対戦。日本は木暮が先制点を挙げて一瞬乗ったが、その後はイランに個人の力で局面を制され、徐々に押し込まれてゲームを支配された。終盤までに1-5とリードされ、残り1分で2点を入れたものの今回も完敗。イラン越えはまたおあずけとなった。
ちなみにこの年の年末に、台湾で行われた世界選手権で、日本は初戦のパラグアイに4-5と逆転負けすると勢いを失い、トップクラスのイタリアに0-5と打ちのめされ、アメリカにも1-1で引き分けてグループリーグ敗退。誰もが初体験だった世界の舞台で、厚い壁にぶち当たっている。 |