第4回AFCフットサル選手権
日本、初の決勝進出も
イランとはまだ差アリ
フットサルの前身のサロンフットボール時代から日本代表としてプレーしていた原田理人氏が監督を務め、徐々に盛り上がってきていた競技フットサル界の精鋭が集まった。2002年の第4回大会が行われたのは、インドネシアのジャカルタ。直前にバリ島で爆弾テロがあり、ちょっとビビッたのだが、大会は平然と行われていた。
この大会、日本は初めて決勝に進出し、準優勝を獲得した。前3大会と比べると、力を出し切って勝ち取った準優勝という感じで、後のステップアップへの向けての転換期ともいえる大会だった。
このときの日本のスタイルは、ディフェンスをきっちりやるというもの。自分たちの陣形のバランスを崩さないようにしながら、とにかく守りまくった。市原誉昭や鈴村拓也がチームを後ろでコントロールし、前は相根澄がキーマンだったが、イタリアで前線の守備に磨きをかけ、今大会はディフェンスが目立っていた。相手が何とかこじ開けて打ってきたシュートも、GK川原永光が再三の好セーブで防ぎまくった。
そんなわけでチームの重心はどうしても後ろになりがちで、攻撃はカウンターがまったくできない。ただ、市原を中心にボールを回せていたのが幸いし、ゲームをコントロールすることに成功した。あまりに回しすぎてシュートを忘れてしまうきらいはあったものの、少ない得点チャンスをしぶとくものにした。
だから、グループリーグのキルギスタン戦や、クウェート戦、準々決勝のウズベキスタン戦など、内容では上回っていたものの、点差がなかなか開かないので、どうしてもハラハラさせられながら見たものだ。
ベストゲームは準決勝のタイ戦。日本はよく守り、よく回しという自分たちのスタイルを出し切り、縦へのスピードが売りのタイをスローダウンさせることに成功した。そして後半、前田喜史が2得点1アシストとすべてのゴールに絡み、3-0で快勝したのである。
しかし、決勝の相手イランには0-6と完敗した。守備でリズムを作るという部分で、前半はいいところまでいったものの、結局ハーフタイム近くになって立て続けに失点。後半もじわりじわりと攻め込まれて大差をつけられた。大会全体を見れば、今回もイランの攻撃力はすさまじく、シャムサイーはインドネシアの観客の中でもアイドルとなっていた。日本の守りをもってしても厳しいとの予想は、容易に立てられる感じだった。それよりもこの決勝で、日本は攻撃面に関して何もいいところが見せられなかったのが課題になった。
ただし、日本が第2グループから1歩抜け出し、イランを追いかける一番手の位置についたことが確実に分かった。この頃から2004年世界選手権のアジア枠は3つになるだろうとの話がされていた。このアジアナンバー2の位置を確実にし、イランを追いかけないといけない。そんなことを思わせる大会だった。 |