第3回AFCフットサル選手権
木村和司監督就任
元Jリーガーを多数集める
2001年7月にイランで行われた第3回大会を戦うにあたって、日本代表監督に就任したのは、サッカー界で活躍した木村和司氏。有名人を起用することで、フットサルの普及と発展を図る狙いがあった。早速木村監督は、選考強化合宿から多数の元Jリーガーを呼び、話題となる。これも将来のフットサル界を見据え、一線を退いたり、サッカーでは芽が出なかったりしたJリーガーたちに「フットサルもあるよ」という道筋をつける意味合いが濃かった。
当然古くからフットサルに関わってきた選手や関係者たち(この頃は彼らを指して「フットサルプロパー」という言葉がよく使われた)は、激しく反応した。しかし、競技フットサル界では、世界選手権出場をかけて戦った、前年大会での敗戦のショックが結構長く尾を引いていて、特にこの頃、フットサルプレーヤーのフィジカル問題は、大きな話題となっていた。つまり、「いくらテクニックがあって、戦術に長けたプレーをしても、国際試合では走り負けたり、球際でやられてしまうじゃないか」と。だから、そんな部分の解決を元プロ選手たちに期待する見方もあった。
結局14名中、6名が元Jリーガーという構成になったが、大会中重用されたのは、GKの田北雄気と、ベッキを務めた鈴木正治くらい。他の選手はもちろん試合には出たものの、最終的にフットサルに慣れ切らなかった印象だった。チームの主力となっていたのは、既にフットサルプレーヤーとして歩んでいた鈴村拓也や、相根澄、上村信之介、関新といったフットサルプロパーたちだった。
木村監督が目指したフットサルは、自陣でのゾーンディフェンスと、攻撃では勝負どころでワンタッチパスを使い、3人目の動きを使って決定機を作るというもの。今でこそ、さすがに本質を見抜く目があると感心させるのだが、当時の日本のレベルからいえば、かなりぶっ飛んでいて、目指すところが高かった。
初戦は格下と見られていたチャイニーズ・タイペイに2度のリードを許す苦戦を強いられ、最終的に相根の終盤の活躍で何とか1点差勝利。続くシンガポール戦は危なげなかったが、3戦目のパレスチナ戦を2-3で落としてしまった。4戦目のイランにも敗れ、グループ3位となってしまったのだが、何とか準々決勝進出は果たした。
準々決勝のカザフスタン戦は、お互いにゴールがなかなか入らないジリジリした展開で、PK戦までもつれ、日本は最初の3人が外しながらも奇跡的な逆転で準決勝に進む。相手はイラン。グループリーグのときと同様、日本は鈴村の攻守に渡る大活躍で前半をリードし、地元の1万人の観衆を黙らせたり、ピーピー言わせたりした(イラン戦=鈴村活躍はこのときから)が、後半もグループリーグ同様に、疲れが出てイランの攻撃に耐えられないところでボカスカやられるパターンだった。3位決定戦もあまりいいところなく敗れ、3大会連続の4位に終わった。
大会全体はやはり優勝したイランがまだ突出していて、第2グループは日本をはじめ混沌としていた。日本の選手たちは一生懸命プレーし、この大会でもイランに対しては試合内容で最も抵抗を見せたものの、全体としては戦術が未消化のまま、力を出し切れなかった大会だった。結局、その後競技フットサルを続けた元Jリーガーもほとんどいなかったのは残念。だが、このとき様々なルーツを持つ選手たちが長期間一緒にプレーしたことで、いろいろな影響を与え合った。特に今大会が日本代表デビューとなった木暮賢一郎や金山友紀ら現代表の中心となっている2人は、元プロ選手たちに日本代表としての心構えや戦い方を学び、この大会での経験が大きかったと、ことあるごとにコメントしている。
木村監督は最後に「今後フットサルを強くしていくには、選手の待遇を含めた環境の改善が必要」と強烈に訴えてチームを去ったが、これも後の代表チーム運営に大きな影響を与えている。 |