第2回 本田裕一郎監督(流通経済大学付属柏高校)その2 [ページ2/2] |
『協会の教本に書いてあるようなことは40年前から帝京でやっていた』(古沼)
本田
帝京の練習が工夫を凝らしていたというのは、グラウンドが狭かったからそうせざるを得なかったというのもありますよね。
古沼
もちろん。
でも、今サッカー協会が指導者のライセンスを与えるのに使う教本があるじゃない。そこで書いてあるボール回しなんか、帝京では40年も前からやっていたよ。場所がないから、バスケットコートくらいの広さで3対3とか4対4とか、そういう練習しかできないんだから。
しかも部員はたくさんいる。グラウンドは半面くらいしかないのに100人以上。能率よく練習したとしても、一度にできるのは60人が限度だから、あとは学校の周り走らせていたね。ときどき他の学校のグラウンドを借りるなど、工夫してやっていた。
子どもというのは、そういう環境に慣れるものなんだよ。
自分のグラウンドでは試合はできないから、毎週のようによその学校へ行くんだけど、「先生、ボールは15個あればいいですか」とか1年生が自然にやるようになる。そういう知恵が養われていく。
試合に行ったら行ったでのんびりなんかしてない。もしも負けようものなら「バカやろう。すぐ学校帰れ」って私がいって。
よくその場でダッシュさせる指導者がいたけど、そういうのは好きじゃなかった。さっさと引き上げて学校に帰ってから練習させた。
そしてそういうのを積み重ねることで、試合のときには「オレたちはあれだけのことをやってきたんだから、こんなところで負けるわけがない」そういう気持ちになる。
“悔しい”が私の原点といえるかもしれない。
ストライカー
今の流経では、時間的に制約があると思いますが。
古沼
やりようはいくらでもある。
例えば「今日は100人の選手に教えてよ」といわれればそれなりの練習をするだけ。そういう工夫やアイデアはすぐに沸いてくる。全国でいろいろな練習を見てきてそういうのを覚えているから。
興味があることだから打ち込めるんだろう。
面白い本なら熟読するけど、出だしで「なんだよこの本」って思ったら、もうダメ。私にはそういうところがある。
ストライカー
今日の練習だと、どんなポイントがあったんですか。
古沼
今日は合宿の初日だし、朝から長い時間をかけてここまできているのだから、まず体を動かすことが大事。
新しいトレーニングというのはない。選手も、「いつものヤツだな」とわかっているものばかり。
ストライカー
先ほど本田先生に「それまでプリンスリーグで勝てなかったのが、先生に見てもらうようになって勝てるようになった」と聞いたんですが。
古沼
それはたまたまだよ(笑)。
ただ、子どもたちがだんだん力をつけてきているのは、私が見てもわかる。春先に比べれば、ボールさばきにしても攻守の切り替えにしてもディフェンスにしても、いろんな面で「これくらいできれば負けないだろう」というレベルになった。
でも、私が想像していた以上によくなっていて、FC東京や湘南といったJリーグ勢にも快勝するようになった。プリンスでリーグ戦を1位で抜けて高円宮杯の出場権をすんなり確保したのはよかった。私が籍を置いているヴェルディも何とか出場を決めてよかった(笑)。
流経と市船の1位同士の決定戦のときは、「これから選手権予選でまた戦うんだから、Bチームでやったほうがいいよ」と私から提案した。
本田
先生がいうとおり、全員Bチームの選手でやりました。もちろん市船にも「Bでやりませんか」といいましたよ。失礼になっちゃいけないから。結局市船は1.5軍でした。
案の定0-2でリードされて、しかもうちは退場者が2人も出た。そんなに荒れた試合じゃなかったんだけど。でもそこから2-2に追いついた。
残り5分になって「PKになったら面白いな」と考えていたらやっぱり1点取られて負けた。
向こうはレギュラークラスをどんどん入れてきたから仕方がないですね。
ストライカー
Bチームでそこまでできたのなら、自信になったんじゃないですか。
本田
そうですね。でも先生にいわせると、「それでも甘い」(笑)。
古沼
私が「甘い」とあえていうのは、退場者を出したこと。
日頃のトレーニングでも、後ろからタックルする選手がいる。仲間にケガさせても仕方ないのに。私が注意してもそれが直らない。そして、そういうのは大事な試合のときに出てきてしまうもの。
去年の選手権のときもそういうのがあったよね(県予選の決勝で八千代に1-2で敗退)。
本田
ええ(笑)。
古沼
私から見ると、あれは本田さんの優しさが裏目に出た。私が「この選手は危ないな」と思っていた選手を使って、結果的にそこから失点した。
でも、先生としては生徒の気持ちを尊重した結果だから仕方がない。それが成功すれば文句はないんだけど、悪いほうに出たとき、指導者は「失敗した」という気持ちが残る。紙一重の差なんだけど。
だけど選手本人はそんなふうには思っていない。
「オレのためにやられたんだ」と思うくらい責任感の強いヤツなら、そういう失敗はしないもの。
ストライカー
そういう勝負のあやのようなものは、長年やっているからこそ身に着いたものでしょうね。
本田
さっきも話をしたんですけどね、先生はプレーヤーとしての経験があまりないのによくサッカーを知ってますよね。「木を見て森を見ず」という言葉にあるように、何が大事で何が大事じゃないかをよく理解している。
経験がないから視点が違うということもあると思うんです。野球でいえばピッチャーの投げ方とか細かいところばっかり気にして、スピードとか大事なところに目が行かないことがある。先生の場合、我々と視点が違うところがある。
昔の帝京の練習を見たときに驚いたのは、本当にシュートがうまい。ミドルシュートでもセンタリングシュートでも、すごいうまい。
今、先生に練習を見てもらっても、シュート練習のない日はない。
ところが私がやるときは、シュート練習をしなかったという日が結構ある。
私だけじゃなく、今の指導者はその傾向があると思うんです。マニュアルどおりの指導法にとらわれて、やれ体の向きがどうのとか……。大事なところを見てなかったなって痛感しています。
もう1つ、驚いたのは、一目で選手の資質を見抜くこと。「ああ、この子は○○だ」って。それがことごとく当たる。「この子危ないよ」ってこの前いわれたばっかりなのに、またやってしまう(笑)。毎日見てる私が気が着かないのに、そのとおりになった。
古沼
シュート練習はどこも少ないね。Jリーグのチームでも少ない。
ストライカー
昨年は滝川ニ高によく行かれてましたよね。
古沼
あれは黒田(前監督、現ヴィッセル神戸GM)さんと話していたとき、「滝ニはもう何十年も前に全国優勝しても不思議じゃないチーム。2つか3つ修正すれば勝てるチームになると思うんだけどな」と私が漏らしたのがキッカケ。
黒田さんが国体の監督も務めていたので、特に国体の期間中はほとんど私が見ていた。
本田
何回も滝川まで行ってましたよね。しかも車で。
古沼
本(『情熱』学研刊)の書き出しもそのことだった(笑)。
滝川に行くと選手の父兄からよく「今年こそ準決勝の壁をなんとか突破させてください」といわれた。
「今年は行けますよ」とその度に答えたんだけど、高円宮で優勝してそのとおりになった。
本田
ほかのチームだと、指導者のプライドが高いから先生に任せきれない。私なんか「先生お願いします」って完全に任せちゃう(笑)。
ある程度のレベルのチームであれば、先生に任せれば必ず変わると思いますよ。
3流のチームだとやることが多いから大変だけど、「もうちょい」というくらいのチームを任せれば、絶対に強くしてくれる。
1日とか2日でもいい。その後、マネしてやればいいんだから。
最近は随分足を運んでもらえるようになりましたけど、それまではうちもずっとマネを繰り返していた。
古沼
私が見るようになって3年目。一昨年よりも去年、去年よりも今年とよくなっている。
一昨年は実際、市船や八千代に勝つのは難しいかなと感じていた。でも、PKだけはしっかり教えた。PKにさえ持ち込めば勝てるようにと。
そうしたらPK戦で選手権を取った。
本田
1カ月くらい、PKを毎日蹴ってましたよね。
古沼
1日に5本も6本も蹴るんじゃなくて1本だけ。それをマネージャーにチェックさせた。それで、いちばん成功率の高い選手に蹴らせればいいよと。
八千代との県予選決勝のとき、(臨時で指導していた)大津も滝ニも同じ日が決勝で、私は滝ニに行っていた。千葉から電話で実況してくれた人がいて、最後に林が決めて勝ったと聞かされた。
「よく(GKの)林に蹴らせたな」とあとで本田先生にいったら「本人が蹴りたがった」からって。危ないことするなあって思ったよ(笑)。
あの年は滝ニにもPKを練習させたんだけど、やっぱり予選の決勝がPK戦になって勝った。大津も勝って、3チームすべて全国に行ってくれた。
ストライカー
最後に、改めて聞かせてください。先生にもアンケートをお願いしましたが、最近古沼先生は、高校選手権にリーグ戦を導入すべきだと訴え続けてます。
本田
私も大賛成。いろんなフェスティバルに行くけど、小さい規模でもみんなリーグ戦を採り入れている。それだけに、なんで高校選手権ができないのか、不思議でしょうがない。
でも、昔は連戦が当たり前で、選手が高校選手権で燃え尽きてしまう、と騒がれたこともあったのが、休みを入れるようになった。そういう変化を受け入れ、ケガ人も少なくなってきた。リーグ戦を導入してもっと進化させるべき。
先生の力を借りて、早く導入できればいい。絶対できると思う。
古沼
今、プリンスリーグがこれだけの大会になったけど、先生たちと立ち上げた関東スーパーリーグが最初。あの頃は関東の技術委員も「勝手にそんなもの始めて」と迷惑そうな目で見ていたけど、3年でプリンスリーグに発展した。
本田
あの頃ですよね、“高校サッカーを考える会”ができたのは。
古沼
そう。プリンスリーグがスタートした頃。
本田
事務局が私のところになって、先生が会長になった。
最初は“打倒クラブ”が目標のようになっていたのに、いつの間にかうまく共存していこうというように変わっていった。
古沼
高校選手権にクラブチームを入れるという噂がのぼったのもあの頃。
スタートしたばかりのJリーグが大成功を収めて、鼻息が荒かった。
でも、高校選手権にクラブを入れるのはどう考えてもおかしなことで、そういう話をするためにJリーグにも行った。
そのとき川淵(三郎前チェアマン/現日本サッカー協会会長)さんと話したことでプリンスリーグの誕生が決まったんだ。
この取材の後、流経大付柏は総体に臨み、初戦で明徳義塾(高知)を6-0と撃破して全国大会初勝利を飾った。勢いに乗った流経大付柏は、2回戦で東福岡(福岡)、3回戦で藤枝東(静岡)と、強豪をいずれも1-0と下す。準々決勝でも玉野光南(岡山)を3-1と倒し、見事ベスト4。準決勝で星稜(石川)に1-2で敗れはしたが、冬の選手権に向けて弾みをつけた。
本田裕一郎監督
静岡東高、順天堂大卒。
1970年に市原緑高に赴任。その後、習志野高(81年)、流通経済大学付属柏高(2000年)と千葉県内を転任し、その都度チームを全国トップレベルに引き上げる。1995年には、習志野で高校総体優勝。今年10月に決勝戦が行われた高円宮杯第18回全日本ユースで、流経大付柏高を初優勝に導いた。
教え子に、宮澤ミッシェル(解説者)、栗澤僚一(FC東京)、玉田圭司(名古屋)、福田健二(スペイン)、広山望(東京V)、林彰洋(流通経済大)らがいる。 |
昼間聡欣(本誌)取材・文
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